ら抜き言葉の氾濫についてどう思います? [エッセイ]
メールを読む機会が多くなったためか、いつも気になることがあります。
パソコンや携帯の普及で誰でも手軽に文章を書くことが出来るようになったので、それだけめちゃくちゃな文章に出会う機会が増えました。
昔なら文章なんて書かなかった層の人が、話し言葉をそのまま書き言葉として書くものだから、読む方は大変です。
特にら抜き言葉です。
メールマガジン執筆者はとにかく稼ぎたい一心で文章を書いているのですが、ら抜き言葉があると、説得力が一気に落ちて、信用する気がなくなってしまいます。
いつも心の中で「ツッコミ」を入れています。
注意してくれる人がいないのでしょうね。
ちなみに私自身はもう若くはないですが、若い時から「ら抜き言葉」に敏感でした。
ひとつのフィルターとして使っていた感じです。
「ら抜き言葉」を使うヤツは「バカ」だと。
もちろん言葉にはしませんが。
実際には、「れる」「られる」は、尊敬とか可能とか受け身と自発とかいろんな意味があるので、どの場合に「ら抜き言葉」を使うケースが多いか、自然な使い方と今でも不自然な用法を細かく調査して、適正化を図ればいいと思うのですが、いかがでしょうか。
タグ:ら抜き言葉
今、働くこととは。無料レポート提供。 [エッセイ]
今、この時代に働くこととはどういう意味を持つのでしょうか?
もちろん働くことに意味がないということではありません。
私の世代では、働きたいけど働く場所がない、なんて信じられません。
いかに働かないか、働くのを先延ばしにするか、ということを考えていました。
「モラトリアム」という言葉が流行った時期でした。
時代は変わりました。
でも今の若い世代は不幸なのでしょうか?
必ずしもそうではないと思います。
それはインターネットがあるからです。
昔はこんなものなかった。
これがあれば、自分で稼ぐことができます。
つまり、無理に就職をしなくても、稼ぐことが出来るのです。
公務員になりたいとか、医者になりたいとか、音楽家になりたいとか、具体的な目標があるなら別ですが、それに負けないくらいのモノがインターネットの中には隠されています。
なので、必ずしも今の若者が不幸だとは思いません。
むしろ、インターネットを使いこなせば、年功序列(この制度では若者が損をする)なんて関係ないし、ダメな上司に気を使う必要すらありません。
愚痴を言うために会社帰りに飲み屋に行く必要もありません。
教育とマイホーム・ローンに追われ、自分のやりたいことを我慢する人生ともおさらば出来ます。
もっと具体的には、インターネットを使えば、例えばこのようなことが出来ます。
https://www.viral-manager.com/aff/2977/630/
考え方・生き方が大きく変わるかもしれませんね。